ゆれる

ゆれる

ゆれる

ゆれる」観てきますた。
以前テレビで西川美和監督の特集をしていて、それを見たとき「ゆれる」に強烈な引力を感じた。でもオダギリ苦手、香川さんも苦手。大丈夫か?と思いつつ劇場へ。見終わっての感想。「凄い」。この一言に尽きる。オダギリジョー、やばいほどかっこいい。香川さん、演技力すげぇ。西川監督、細部こそあなたの腕のよさが伺えた。凄い。久々に凄い映画に遭遇した。

人間の残酷さ、不確かさ、曖昧さ、儚さ…。あの手この手で人間の奥底を描いてくる監督の圧倒的な力に、なす術もなく揺さぶられる。そしていつまでもゆれ続ける。エンドロールが流れ始め、涙がとめどなく溢れてくる。止まらない。それは、本編が終わってもなおゆれ続けている証。こんなにも切なく、やり切れない想い。私たちは知っている。この映画のような世界は、実は自分のすぐ隣りにもあるんだって。表層化するかしないか、それだけの違いでしかないのだ。

様々な映画がある。それぞれの好き嫌いもある。どれがいい映画で、どれが悪い映画か、そんなこと主観で決めることは出来ない。でも、私にとっていい映画とは、「こちら側に“考えるきっかけ”や“想像する余地”を与えてくれるもの」なのだ。ぶっちゃけ、監督の考え方を押し付けてくるような映画はいらない。思考停止に歯止めをかけてくれるような、そんな映画を欲しているのだ。そういう意味でこの「ゆれる」は、私にとってのいい映画であった。

信じること、信じられること。
裏切ること、裏切られること。
奪うこと、奪われること。
許すこと、許されること。
弟であること、兄であること。

あの橋を渡るまでは、兄弟でした。